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紳士と淑女の集まるサロン「紙パンツNight」の公式ブログです。

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なぜ『勃-1グランプリ』を開催するのか① ~イドと超自我の間でバランスを保つために~

10月17日(土)に『第2回 勃-1グランプリ』が開催されることが決定した。
まだ『勃-1グランプリ』をご存じでない方は下記より確認いただきたい。

第2回勃1

第2回『勃-1(タチワン)グランプリ』開催決定


今回の勃-1グランプリ開催の発表タイミングで何度か、
「『紳士・淑女のサロン』を標榜しながらなぜこのような卑猥なイベントを開催するのか?」
という質問を受けたため、一度その理由を説明しなくてはいけないと思いこの記事を書くことにした。

まず最初に強調しておくが、僕らは勃-1グランプリが卑猥なイベントだとは思っていない。
そして紙パンツNightは欲望そのものは決して否定していない。
これまで先人達が抱いてきた種々の欲望によって文化が発達してきたことは間違いなく、欲望それ自体は社会を豊かにする推進剤だと僕らは思っている。
それは紙パンツNight発足当初に実行委員立ち上げの経緯として記載させていただいた通りだ。
※『紙パンこぼれ話① 実行委員の立ち上げ』参照

現代社会を構成する大きな要素であるインターネットの普及にしてもポルノグラフィは切り離すことができないし、欧米における日本女子カルチャー周辺のSNSの普及も、その根底にはスラッシュ文化がヤオイ文化を受容したという女子の欲望が原動力としてあったことは既に語りつくされてきたことだ。

日本はもともと欲望を受容することで豊かな文化を形成してきた。
万葉集巻頭歌の雄略天皇歌から始まり、源氏物語や伊勢物語といった色男の系譜が連綿と続く他、日本霊異記においては母子間の愛までが描かれている。そしてその母子間の愛は説話として人々に受容されていたものだ。
外的接触を断つことで日本独自の文化が大きく花開いた江戸期にあっては、歌舞伎(女装)を見てから陰間茶屋に行く男同士の恋人が当たり前だったし、そうした男たちも色町に妻を持っていた。吉原に代表される色町は初回、裏という疑似結婚のしきたりを経なければ床を共にすることができず、言い換えれば当時は日常的な妻と非日常(色町)の妻がいたことを意味する。非日常的な妻と夫の関係においては、たとえ梅毒になろうとも『鳥屋につく』という描写でそれを美しいと表現していたように、欲望によって崩れていく人間までをも粋とする究極ともいえる受容の文化も存在していた。
井原西鶴の『好色一代男』の主人公は肉体関係を持った女性が3742人、男性が725人と書かれていることからもわかる通り、日本では古来より様々な愛の形が当たり前に存在し、当たり前に受容されていたのだ。
僕ら紙パンツNightが誕生したゴールデン街も、元は戦後に誕生した赤線・青線地帯である。そこから数々の文化人を魅了する文化的側面を持った飲み屋街となっていった。文化と欲望は切り離せない密接な関係を持っている。

こうした文化の名残は、例えば「オネエのタレントさんたちがテレビで活躍されている」「AV女優さんのライブに多くのお客さんが集まる」といった今日の日本にも散見される。欧米ではこのような光景はまず見られないが、それは聖母マリアの処女懐胎に象徴されるような穢れの無さに重きを置く文化があるからだ。
僕ら紙パンツNightはそうした西洋文化自体を否定するつもりは毛頭ないけれど、児童ポルノ禁止法のような純潔さに焦点を当てて、当たり前にそこにある欲望に蓋をして遠ざけるという力の台頭に関してはとても残念に思っている。
※紙パンツNight立ち上げの経緯の一つとして児童ポルノ禁止法の制定があることは『紙パンこぼれ話① 実行委員の立ち上げ』にて既に述べた通り。

ここで誤解してほしくないのは、紙パンツNightは欲望そのものを肯定はするが、不適切な欲望の発露についてははっきりと否定していることだ。
「自制心の欠如に対するアンチテーゼ」は僕らの揺らぐことのない根本理念である。
昨今メディアを賑わせている教員による盗撮や警察官による猥褻行為といった欲望の暴走には頑として否定の立場を取っているし、児童ポルノ禁止法という欲望そのものを悪とする価値観の台頭は残念に思うけれど、少女に対する直接的な犯罪行為は許されないものだと思っている。
その紙パンツNightが勃-1グランプリを開催するのは、欲望を極めたスペシャリストたちのプレゼンを通して様々な欲望を身近に体感することで、欲望を克服する自我を養ってほしいと考えているからだ。

人間は欲望を充たしたいと欲する生き物だ。
「食べる」「寝る」そして「性欲を満たす」などに代表される行為は生きている限り常に人間について回る。
食べなくては飢え、寝なくては頭が働かず、そして性欲を満たさなければ子孫を残せない。
欲望を満たすことは生きることそのものと密接に関わっている。
欲望を否定することはすなわち生そのものを否定することであり、欲望を満たすということはよりよく生きることと同義語かもしれない。
そうした人々が無意識に持っている欲望を精神分析学的には「イド」という。
それに対して後天的に生じた道徳観、概念を「超自我」といい、イドと超自我の間でバランスを保とうとする意識の事を「自我」という。
不適切な欲望の発露は「イド」の占める比重が増して「自我」がバランスを保てなくなった時に起こるが、精神分析学的には内なる欲望を知覚し向き合うことこそがその克服につながるとされている。
実際に、欲望を抑えられず、痴漢や盗撮、下着泥棒などの犯罪を繰り返してしまう性依存症治療の場では、同じ苦しみを共有する方たち同士の語り合いを通じて自己の欲望を直視するという治療がなされている。
※毎日新聞2014年08月24日記事より

しかし、欲望そのものを悪とする社会の中では、己のイドと向き合う機会さえ少なくなりつつある。
児童ポルノの所持さえも禁止される中ではそれを認識することさえ出来ないだろう。
僕らは「不適切な欲望の発露に対するアンチテーゼ」を理念に掲げている。
だから、この生きづらい今の時代に人々のイドと超自我のバランスが崩れてしまわないよう、イドと向き合いそれを克服できるような強い自我を保てるようにとの想いから勃-1グランプリの開催を決定した。
勃-1グランプリに出場いただくのは己の欲望を突き詰め作品として昇華したスペシャリストの方々である。
そして、そこで提示される様々な欲望の形は、先に例を出した「日本霊異記」と同じく、人々に受容されるべき現代の説話集であり作品集だ。
これは紙パンツNightが目指す「大和心の再構築」ともつながっていく。

どうか多くの人にご来場いただき、実際に様々な欲望の形を体感し自我を養うととともに、欲望を受容した先にある文化的広がりに触れて欲しい。

書ききれなかったこともあるため、続きは「なぜ『勃-1グランプリ』を開催するのか② ~中国デモと蒼井そら」へ。
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